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2012’03.01・Thu

ひな祭り

4年程前に、ちりめん古布作家の先生に習って念願の吊るし雛を完成させました。

tsurushikazari

お人形とかぬいぐるみに全然興味のない私が何故か初めて伊豆の稲取りで見た吊るし雛がどうしても欲しくて欲しくて、買うには高価すぎて手が出ないので、頑張って作る事に。

実はお裁縫は大の苦手で和裁、洋裁を得意とする母からは、『女失格!』の烙印を早々と突きつけられた位、ひどい腕前の私です。なんせ小学校、中学校の家庭科の成績は飛び抜けて一番悪かったですからね。。。母の落胆ぶりは相当な物でした。そんな私が何やら突然情熱に揺り動かされ、作ってしまったんですから。人の気持ちは不思議なものです。一生に一度の快挙、もう二度と作る事はないでしょう。それにたとえ、作れと言われてももう無理。。。

あの時は、古布のちりめんの色合いに魅了されたとしか言いようがありません。
毎月一つのデザインを習い、同じ物を二個ずつ作り続け、なんとか飾れる数を完成させました。

飾り



それから毎年この時期には飾っています。
私の実家は四国で毎年のひな祭りは4月頃にかけて旧暦でお祝いをしていました。もちろん吊るし雛ではなく、何段もの段に人形を飾るひな壇飾りでした。3月3日がおひな様なのに、4月に飾っててもいいのかな?と子供心に不審に思っていましたが、山深い四国の実家はこの時期になると桃の花や菜の花が咲きひな壇に飾るにはちょうどよい時期でした。

nezumitotawara

母は母方の実家では7代目にしてようやく生まれた女の子だったので(それまでは男ばかりしか生まれなかったそうです)、祖父(母の父)の喜びようは計り知れなく、蝶よ花よと大事に育てられたそうです。その蝶だか花だかが初めて生んだ女の子(私)は祖父にとって初孫になりそれはそれは可愛がってくれました。その初孫の初節句。。。気合いが入らない訳がありません。

tai

段数は忘れましたが、何段もの段があってとても豪華なひな壇でした。多分相当奮発して買ってくれた高価な物だったと思います。毎年、この時期の母と私の楽しみは、蔵から沢山の箱にしまわれていた人形達を一つずつ取り出して
赤い毛氈をひな壇いっぱいに広げ飾り付けて行く事でした。小道具の一つ一つも小さく細工が凝っていてそれはかわいらしいものでした。

sakura

桃の花と菜の花も畑から摘んで来ていつも壇上に飾っていました。そんな母と私の様子を特に下の弟(私には二人の弟
がいます)がうらやましそうに見ていました。『僕もお雛さんが欲しい!』とだだをこねるのです。この弟は何故か女の子っぽいものが好きで女の人のお化粧にも興味を持つような子でした。

tsuru

飾り付けが終わると、母がピンクや白のあられを煎ってくれて、いつもかしこまってひな壇の前でこの日ばかりは、おしとやかにお行儀よくお菓子をいただいたりあられを食べたり....もちろん弟たちにもお裾分けをして...と記憶に残るこれが一番幸せだった頃のひな祭りの思い出です。。。が....ここで美しいひな祭りは消えてなくなるんですね。これが........。

zouri


ある時から、人形の箱を開けるのが怖くなりました。
なぜなら、顔とか手がネズミにかじられてなくなっているのです。最初の頃はほんの少し、かじられていただけだったのが徐々に顔なし人形が増えていきました。しかもあろう事か糞まみれです......(ううう〜)
最初は犠牲者も少なかったのですが、そのうちどんどん顔なし人形ばかりになっていきました。

母は、『大丈夫。大丈夫!顔は作ったらええんやから。。』と気楽に言います。
が.....私はますます悲しくなっていきました。母が顔と称して顔のなくなったおひなさまの首に突っ込んだものはただのティッシュ。いえ、当時は『鼻紙』とか『チリ紙』と呼んでいました。くちゃくちゃとした鼻紙がきれいな着物をまとったおひな様の首に突っ込まれているだけ......。毎年毎年、鼻紙おひな様が増え続け、とうとう『こんなん、おひな様と違う〜』と少女の私は文句を言いました。さすがの母もまずいと思ったのか、『ほな、もっとちゃんとしたのにしてあげるけん。ほれなら文句はないやろ?』と言いました。

椿

母は、チリ紙いえ、鼻紙を白い布でくるみ、サインペンで目と鼻と口をかいて『ほれ、これでええでえ。顔がでけたし.......』って。。。
『いや〜!頭はげてるし〜!全然違う〜!』激しく抗議する私。『それになんか、さみしすぎる〜!』とますますごねる私に『ほな、これならさびしないやろ。』ってガラスケースに入った日本人形をひな壇に一緒に飾りました。
『これで、ええで〜。こっちは顔あるし....』って。。。(うそっ。)
それでもまだ不服そうな私の顔を見て、何を思ったか、次から次へと手当り次第に色んな物を飾り始めたのです。

sarubobo

家で一番大きかった水色の犬のぬいぐるみ、こけし達、誰かから貰った北海道土産の木掘りの魚をくわえた熊。。手当たり次第。。。何でもかんでも。。。普段、蚊帳の外だった弟達までここぞとばかりに喜んで、いろいろ持ち込んで来ました。上の弟はお気に入りのトッポ・ジージョの人形を。下の弟はドラえもんの貯金箱を。。

『いったい、これは何の祭りやねん〜!!』


うさぎ

私の可愛い、乙女な少女時代はこうして終わりを告げました。多分、あの世で祖父もがっかりしていたに違いありません。母にはセンスのかけらも繊細な心のかけらもなく、やがて大きくなった私も弟達もひな祭りはもはや、わくわく心をときめかすお祭りではなくなりました。母だけが性懲りもなく家中の人形をかき集めては一人、女の祭りをエンジョイしていました。

uguisu


そして私が18で家を離れるまでその変貌をとげたひな祭りは母の手によって続けられていましたが、その後は近くのお堂(お人形ばかりを納めている)に奉られました。

女の子



3月3日までにおひな様をしまわないとお嫁にいきそびれるかも?と迷信を心密かに信じていた小さな女の子はやがて年をとり、結婚願望のかけらもない娘に育ったにもかかわらず、何故か二度も結婚をしたのでした。
めでたし、めでたし。。。


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